所感 (平成11年度神奈川銀鈴会発声競技会優勝者)

(T.Uさん;銀鈴会会報26号より)

私はまさか平成九年四月に喉頭ガンの再発と診断され、五月に喉頭の全摘出術を受けるとは、夢にも思っておりませんでした。

平成8年12月に以前からの声がれが、もっと悪くなりましたので、9年1月の中旬に何となくこの声がこの後どうなるであろうかと、軽い気持で生まれて初めて自分の声をテープレコーダーに録音しました。

あれこれしているうちに、2月末に私の勤めている会社の鉄工仕事で、建築現場を任せている部下が、急病で倒れ入院しましたので、急遽私が現場に出て指図をすることになったので、仕事量が今まで以上に増加し、忙しい毎日となりました。
また2・3月と建築現場は年度替わり前に工事を完了させないとならないので、我々の仕事も追い込みをかけられ忙しい毎日が続きました。

仕事が忙しい合間に何度か録音しましたが、一向に声がれば良くなりませんでした。
4月になってやっと工事が終わり、身体が空いたので、声がれが良くならないのと呼吸が苦しいので、医者に行って検査を受けることにしました。
以前かかっていた耳鼻科は2年間も行っていなかったので、4月11日に娘の嫁ぎ先の姑が、看護婦をしている病院に行き検査を受けたのです。

先生より喉頭ガンといわれ、気管が狭くなっているので、呼吸困難で酸素不足だから、すぐ酸素吸入をしてもらい、今日は入院しなさいといわれたのですが、入院の用意もしていないので、帰って用意して来るといい、午後より先ず会社に行き喉頭ガンと言われたので、即入院することになったと話し、仕事の後を頼み必ず又戻ってきますといい、会社を出て、家に帰り、テープレコーダーにこれが自分の生の声の最後だと録音しました。

翌朝その病院より、以訓よりかかっていた武蔵小杉の日本医科大の耳鼻科に行き即日呼吸困難のための気管孔の緊急手術を受けました。手術を終わって先生から呼吸が楽になるよといわれ、本当に呼吸が急に楽になったことが今でも忘れません。

本手術は他の手術がこんでいるのと、連休が重なることで、一カ月後の5月12日になりました。手術後は順調に回復し、5月末に退院しました。
退院後の4日目から声は出ませんが会社に出勤し、意思の伝達は筆談でしました。
神奈川銀鈴会には退院後の6月13日に入会しましたが、気管孔が腫れて気管孔ガ狭く力り呼吸が苦しくなったので、十日後に再入院し.主治医の許可をもらい病院から銀鈴会の訓練に通いました。
原音が出ないまま7月4日に退院し、7日の銀鈴会の一学期の終了に始めて「ア」の原音が出ました。

それからは毎朝五時に起き一時間半くら、い発声練習をし、会社にも復帰しました。
原音が出るようになってから、練習の合間に声を時々テープレゴーダに録音して、中級・上級と昇進レてからは“テキスト本の朗読を時々録音しております。

まさかと思って、初めて始めたテープレコーダへの録音が今では自分にとって重要な発声練習の手本になっています。

今回の競技会で、お陰様で1位とさせていただきましたが、これで一般の人達と対等なお会話が出来るとは思っていません。これからも、絶えず練習をしなければと思っています。
また教室に出席して、みなさんとお会いしてお話ができることが心のよりどころとなっています。これからもよろしくお願いします。