極めろ!食道発声の道
「大きな声を出して笑ってみたい」
《「北の鈴」第15号より》釧路市 K・H さん 
 私は、喉頭摘出をして早くも十年目である。食道発声で会話も出来、健常者と同様の仕事をして、日常何の不自由もなく生活が出来て本当に幸せだと思っており、現役で働くことに感謝していります。

 手術前はせっかちで、短気で、怒りっぽく、我が道を行くスタィルの人間であったようだ。
術後は、「どんなに頭に来ても絶対に怒ったり、人とケンカはしてはいけない。」と心に誓う鍛練の結果、ある程度我慢強い男になったと思うけど、何よりも一番残念で、淋しさを覚えるのは、大きな声を出して笑えないことである。

 手術前は、人一倍大きな声で笑い、「お前は馬鹿か。」と言われる位大きな声で笑ったいた男、それだけに、笑えぬ悲しみを人一倍残念だと思うのだろうか。ある日ある時、ふと大きな声を出して笑えぬ悔しさが。残念で残念でならないのである。身勝手なもののだと思う。

術後三年位は、病気に勝っため、生きている事に感謝の念が強く、「一日一善」を大切に生活をしてきた。健康に自信が付くと欲が深くなり、いろいろなことに不満が出てくるものである。

大きな声を出して笑えぬことなど我慢すれぱ良いことなのである。とは思うけど、そこが人は欲が深い。どうせ生きているならば、明るい生活が何より大切である。
自分自身の心を豊かにして、心に徴笑みを持てぱ笑えるのではと努カをしてみたら、硬い表請がほぐれて明るくなった。

大きな声は出ないけど、笑うことだけは出来るのだ。「この辺で満足しようかなー。」と自分に言い聞かせてみる。
頭の中で出来るだけ楽しいことを考えて、いやなことは忘れて「なるようにしかならないのだ。」と思ったりもする。

人の考え方というものは、実に面白いものであり、愉快なものである。自分勝手な思い込みで悩んだり、苦しんだり、暗くなったり、実に面白いものである。

 私は声を失って以来、自分の欠点を理解出来るようになり、商売上では大きな財産になったと感謝している。
 大きな声を出して笑えぬ淋しさとは、私どもは自分自身で声を造って話すため、意識しないと気軽にジョークも言えない。そのため無表情な顔をしたり、気軽に相手に声をかけたり出来ないのだ。そのため現役で働く私など、よく人に誤解される。こんな時は、「まあいいや、何時か解ってくれるだろう。」というあきらめも大切である。

 何れにしても現在健康に恵まれて、朝は早く目覚め、夜は早く眠る。
好きだったタパコは呑まず、お酒は相手がいれぱ少々という誠に健康に良い生活をしており、健康になれぱ活力があり人は欲が深くなる。
欲が深くなれぱいろいろと不満も多くなり、ある日、ある時、

「大きな声を出して笑ってみたい。」

という出来もしないのに、こんな事を考えたり、思ったりの今日この頃である

   豪快に     わっは、は、は、は
   お腹の底から  いっひ、ひ、ひ、ひ
   心の中で    うっふ、ふ、ふ、ふ
   得意げに    えっへ、へ、へ、へ
   上品に     おっほ、ほ、ほ、ほ