支笏湖発声訓練に参加して
(T.Fさん;北の鈴15号より)


 ストレス解消に行ってきたらと、通院中の娘に奨められで家の事を気にしながら、五月晴れの新緑美しい山間を縫って青少年センターに到着、早速訓練に入りました。

 家に居ると発声よりも、まず家事、家の中から外仕事まで一時たりとも暇はない。そんな私を見ていると主人も息子達も健康体の人と変わらない扱いをしてくれる。
そうして孫の世話までよく頼まれる。可愛いが疲れる。だが、それがかえって私の気力の原動力に成っているのかも知れない。これだけ元気に成れたのも私に関わって下さった沢山の人達のお陰と感謝する。

 だが最近の自分を振り返ってみると、若い頃あんなに消極的で人と話しするのも苦手で、おっとり型の私が今は短気で、すぐにイライラと自分でも呆れるほど、きつい女に成っているのに驚く。
残り少なき人生を平穏に過ごしたいと願う反面、仕事で両手が塞がり声をかけられでも返答出来ぬ悔しさを痛感する。

 支笏湖では、都会の騒音と家事の煩わしさから離れ、只一筋に発声だけに専念出来る。だが体力にも自信がなく思うような声がなかなか出ない。

さっぱり上達しない私に付きっきりで教えて下さるK先生も、さぞ張り合いのない事だろうと申し訳なく思う。気分を変えで外の空気を吸い、樹の間を歩きながらの発声、そのほうが少し声が出る様な気がする。

 そんな二日目アーアーと声を出しながら歩いていると、ちょうど息抜きに出で来られた付き添いの奥様と立ち話に成り、ご主人も私と同じ複雑な手術で電気発声もまだ出来ず、ご主人がお話しされるのが何としても聞き取れず「お父さんごめんなさい。どうしても分からないの」と言うやり取りを繰り返されていたそうです。
すると最後に「バカヤロウ」と言われた。

その音量だけが分かったとおっしやる。「お父さん聞こえたよ。バカヤロウでも何でもいいから何度でも声を出して」と言ったそうです。

するとご主人が涙をこぼされながら「自分が悪かった。今後絶対こんな事は言わないからよろしく頼む」と筆談でいわれたそうです。「うちのお父さんは温和な人で、あんなこと言ったりする人ではないのですが、余程気が滅入り癪に障り焦れたのでしょう」そして二人で手を取り合っで泣かれたと話をされました。

 何と美しい夫婦愛でしょうか。もし私が反対の立場であったら、こんな優しい女房に成れたかどうか。分かって欲しいと思う主人にはさっぱり話が通じず腹立ちまぎれにおこす癇癪をおさえ、年取った主人にどうすれば少しは優しく出来るか、世間へ出れば我慢出来る心も家では…と反省をする夜でした。

 発表の時「ア」の声が出ない主人が可愛そうだと私の後ろで泣いでおられた室蘭の奥様。聞けぱ、まだ退院して日も浅いとか。私に出来る事は、そのうち声は必ず出るから大丈夫ですよと力付けて上げるのが精一杯でした。

 今回の参加で発声もさることながら、また大切なものを学ばさせて頂きました。熱心にご指導下さった諸先生方、それからお世話下さった付き添いの奥様方、ほんとうに有り難うございました。