「つぶやき」 (池田町 M.Uさん;《「北の鈴」第14号より》 |
札幌医大で喉顧摘出手術を受けてから、早いもので十八年が経過しました。 手術前後の絶望感と不安感の中で落ちつかない焦燥の日々であったことを思い出しながら、北鈴会との出合により、いろいろと教えられたことを感謝して おります。 四年径った秋に、帯広に発声教室が開設され、十勝の同病の仲間と月に二回、顔を合わせることが出来る様になって入院中の同室であった方にも再会し嬉しかった。そして皆頑張って生きていることが判り、自分一人でないことに何か安心したことを思い出しています。 たまたま少し早く入会していたこともあり、指導員を引き受けることになりましたが、必らずしも明瞭な発声、会話が出来たわけではない。「教えることは、教わること」だと、教えてくれた今は亡き、O北鈴会会長さんの言葉が耳低に残っています。 少しでも、後輩会員のお役に立っことが出来るならぱ、ご恩返しをしたいと考えながら、今日まできてしまいました。 平成元年、仙台市で開催された指導者研修会に始めて参加した際、日喉連北日本ビロック長、仙台立声会のO会長の熟心さには、半ぱ圧倒されながらの私でありましたが、喉摘手術には約十七通り程あることを教えられ、指導員たる者は十分な知識を身につけ、手術の内容や、特徽を知って適切に発声指導に対処しなけれぱならないと、発破をかけられて、その貴任の重大さに困ったことがありました。 この五月の北鈴会の指導員研修会で、T研修部長から食道再建手術のところで、五十二通りあることを聞きこれに又頭が痛くなりました。配慮事項に、焦らず、気長に、そして懇切丁寧にすること、底が探く、大変難しいので今後もじっくり勉強して貰いたいと教えられ、十年も経たたい内に単純ではあるが十七が五十二に増加したことは、医学の進歩の一端を喉摘手術の分野で知らされた思いがしまし た。 酎用年数も切れかかった近頃の我が体に、「日暮れて道なお遠し。」の感のみ深く残りました。 近頃、改革だ変化だ自由化だと、各層各般にわたって強く叫ばれているようだが、人類の新しい大きな革命はまだ始まったぱかりで、これからが本番だとも聞いている。こうした社会の動きの中で、以前から喉摘者の発声についても研究が進められ、低音を克服するための高音化の器具や、電気発声器の改良や新型器種の出現等、私たち喉摘者の分野にも、大きく改良改善のための研究が進められてきていることは嬉しい限りで、近い将来、必ずや素晴らしい夢のような立派た機械装置が出現して、喉摘者を喜ばしてくれる時が、一日も早く来て欲しいものである。 更に進んで、いまの発声法が根本的に変革されて、現在行なわれていることが昔話になり、総てが博物館入りにでもなって貰いたいと思う。 当面の課題として、唇に再ぴ声を戻すための努力は、自分なりにこれからも続けなければならたいと思う。現況はまだ続く、くよくよしないで健康に注意しながら、頑帳って余生を歩むしかないと決めている。 |