10年前まで考えられていた後遣症といえば、首のまわりに、火傷による炎症がみられていたぐらいでしたが、それも、退院の頃までには、すっかりきれいに直っていたことを思い出している処です。
だが、しかし、このたびの後遣症で苦い経験をしたのは、あの時の一過性の炎症とは、全く違って、人間の生き方、死に方に、大いに関係があり、生殺与奪の権利を握っているので、恐ろしい存在といえるものと思うのです。
それは、実に意図的に、しかも計画的に、その上、作為的に10年前の冶療が終わったすぐ後に、深く静かに行動を開始していたのです。
その上、あれから10年間もの長い時間をかけて、人間には一切の自覚症状を与えず、深く静かにじわりじわりと私の頸動脈を浸攻していたのでした。そして、ある日突然目の前に忽然とその正体を現し、その存在を誇示し、自己主張をするという誠にやっかいで始末の悪い後遣症であります。
この招かざる客のような後遣症を発見してくれたのは、私の耳鼻科の主冶底の先生であり、また、その正体と原因について処置をして頂いたのは同病院内の脳外科の専門医の先生方の連携によるもので、心からお礼と感謝を述べさせて頂き再度にわたり生命を助けでくださいまして本当に有難とうございましたと申し上げたいのです。
さて、私と10年目の後遣症のことにつきまして、もう少し詳しく述べさせて頂くことに致します。それは、去年の師走も押L迫ったある日のこと。年未の3ケ月検診を受けて、新しい歳を安心Lて迎えるため、いつもの通り耳鼻科の外来を訪れたのでした。
採血も済み、レントゲン写真も終わって、おもむろに診療台に腰を下ろした時、主治医の先生ば、今撮してきたばかりの写真を見ながら「頸動脈に部分的にだが、損壊現象が見られる。
心配だ。これから、すぐこの写貞を持って、脳外科にいき、専門の先生に診察を受けて来なさい」とのことでしたので、早遠、その外来に行き受診をした処、診断名は「右内頸動脈梗塞・左頸動脈狭窄」ということでした。
なお「詳しく検査をするので、1月4日に7階の脳外科病棟に入院して下さい」との話でした。
また、「検査の結果手術が必要な場合があれば、すぐやらなければならないので、そのつもりで来院のことなどの話でしたし、パイバス手術も予定Lておかなければといわれ、生命にも大いに影響がある場合もあるということです。
10年前に癌の告知をうけた時と同じく、まさ晴天の霹靂とはこういう事をいうのかと、妙に納得したものでした。
入院後、諸検査を受けた結果、大きな頸勤脈は普通は4本あって、頭の中の隅々まで新鮮な血液を送るという大切な役割を果たしているそうです。
処が、私の場合、その4本のうち、普通に機能しているのは、半分の2本だけで残りの2本は損壊を受けておりその内の一本は、梗塞していて完全に機能はしていないそうでず。
残りの一本は、血管の途中が砂時計の真中のようにくびれて狭くなっている処と同じで、今にも千切れそうな状態であるという事がわかったのです。
従って、異常のない普通の2本分で他の損壊している2本分をカバーしており、その上自然にパイパス血菅が、この十年の間につくられて、これらの損壊し機能していない不足分を補っている事が検査でわかりました。通常この頸動脈に異常が生じた場合は、よくて、手や足の痺れや半身付随などの症状が現われ、悪い場合は昏睡状態や植物人間になる可能性も大きく、その上生死さえも左右するというものであり、症状的には脳梗塞や脳血栓などと同しだそうです。
したがって事前に発病の予告などは全くなく、ある日突然仁発症するという後遣症であるので、今後、耳鼻科はもちろんの事だが脳外科も必要に応じて、定期的に診察を受け、MRIなどの機械による検査を受けることなども特に重要なことだと思います。
また、この後遣症の特徴は、過去に放射線冶療を受けた経験のある方がすべて後遣症に確実にやられるという事ではなく全くの個人差で発症する場合が多いという事ですので、日頃の健康菅埋や主治医の処での定期的検診は、特に大切にして欲しいのです。
更に、この後遺症は、喉頭腫瘍のために放射線冶療を何回うけたかという回数は、発症にば余り関係ないとの話です。
ですから明確に言得る事は、治療後のいわゆる7,5,3の経過年数の保持者の方々が一応発症の対象になるそうなので、要注意が必要であるそうです。
そのためには、主治医の検診の他に、自宅で出来ることは、毎朝起床したら、冷氷をコップ1杯確実に飲むということを習慣化する事が最も大切なことだといわれています。
理由は、毎朝一杯の水を飲む事によって血液を”さらさら”にするという事が大切な事であり、粘り気のある血液ば梗塞や血栓の原因になりやすいそうであり、必要に応じては、血菅を拡張する薬や血流の流れをよくするだめの薬も医師の診断によって服用する事がよいものと思っています。
自分の頸動脈のことよく知って、毎日を大切にしで、一生懸命生きていこうではありませんか。
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