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能登半島夫婦巡業記 |
僕たち二人は金沢の兼六公園に行ったことがあるが、能登半島を巡ったことは無かった。
ところが成子が肺炎と脱水症で入院騒ぎ、旅行どころか命が危ないと言われ、40日間の入院後、もう寝っきりになるのでは、と言われながらリハビリ開始。
よし、少しずつ旅行してみよう。今年の2月から2泊3日の旅行を再開した。 泊まる宿は銀波荘(西浦)、お花見久兵衛(山中)、能登の庄(輪島)、ランプの宿(奥能登)、加賀屋(和倉)、山のホテル(新穂高)、槍見館(新穂高)。山のホテルのみT泊、後は2泊ずつ。計13泊14日間の旅行である。
娘も息子も、お母さんを連れて、長過ぎる、という意見もあったが、安全を考えると短くは出来ないから、計画の変更はしなかった。
新東名を走る。こんなに走り具合のいい道路があるんだとびっくりする。宿のチェックイン15時よりもT時間位早く着きそうなので、途中のサ−ビスエリアでゆっくり休憩しながら宿に入る。
「ほら、もう着いたんだよ」
車椅子は廊下に出しておき、大きな移動の時だけ使うが、部屋の中は勿論のことレストランへの移動も、手を支えながらの歩きです。
問題のお風呂は湯船の前に高い一段があるから成子はそこに上がれない。
高い一段に成子を立たせる作戦で、先ず成子を高い一段に腰かけさせる。両足を持ち上げて回し同じ段に乗せる。
これで成子は段の上で尻もちをついた状態。そこから成子を引っ張り上げて立たせる。
仲居さんに成子の上体を支えてもらいながら、僕が両足を持ち上げ回して湯船に誘い込む。
お花見久兵衛の部屋はとても良かった。8帖のベッドル−ム、8帖の和室、8帖のリビング、そして8帖のテ−ブル室。8人の人が一遍に入れる足湯、広い露天風呂。こんなに広くて勿体ない、和室なんか大きなトランクを広げただけで、成子は一回も上がって来ない。
なか日はいつも{摘便}の日で、これをこなしておけば移動日にウンチでオムツが汚れる心配もなく、とても気が楽だ。 お風呂に入る時はフロントの人に手伝ってもらった。お食事は別の個室で堀炬燵になっていたが、それは使わずにちょっと高めの座椅子を用意してもらった。 ところが成子の足先が堀炬燵に落ちていて、段々ずれ落ちて引っ張り上げるのに大変だった。 料理の質はとても高く、大満足した。食事部屋に行く廊下に5段の低い階段があり、仲居さんやスタッフが見守る中を成子が歩いて通過すると、皆が一斉に拍手して喜んでくれた。成子はもてもてでニコニコのしっぱなしだった。僕も嬉しくて、なんて良い旅だろう、と感激してしまう。 成子を連れて旅行すると、行く先々での人々から、とても喜んでもらったり、感激してもらったり、触れ合いが濃厚に膨れ上がってくるのです。二人とも幸せだなあ、の気持で一杯になる。心配事など何処にも無く、全くその逆の現象に驚いてしまう。こういうことになるとは誰も予想しなかった。 10月28日、奥能登のランプの宿に向かう。長距離ではないので気が楽だ。白米千枚田を見る。刈入れの終わった後で、迫力が無い。奥能登を進むうちに、素敵な瓦屋根に気が付いた。黒く光っている。屋根だけでなく家全体が黒く、とても落ち着いた雰囲気。それが何処の家も同じ色合いで、纏まった集落になると強く訴えるものがある。大都市から離れた辺境の地だけに、その生きざままで想いやられてくる。 海の里、山の里として世界の農業遺産になっているようだ。こんな素敵な集落は本当に珍しいと思った。
能登半島の最先端にあるランプの宿の大きな駐車場に着いた。随分でかい宿なんだ、と思った。
ところが宿の姿は影も形も全く見えない。ここから先はどうも自家用車では行けないみたい。
その崖の下に宿がひっついていた。よくこんな処に宿があるな、不思議でたまらない。 この宿にいる足掛け3日間、怒涛に見とれっぱなし、と言っても良いくらいだった。あっ、大きな波が来た。凄いしぶきが舞い上がるのではないか、と思うと、成子に食べさせるのを忘れて見とれてしまう。 11月1日加賀屋に向かう途中、雨に靄う軍艦島を見た。観光客は一人も居なかっただけに、大きな軍艦が独り静かに浮かんでいるみたいで、その壮大さに見とれてしまった。カ−ナビの指示通りに走っていたら、いつの間にか能登島に案内されて、まるで観光ナビのようでビックリした。とても大きな島なのに人影が殆どなく、隅々まで綺麗で、穏やかそのものだった。大きな橋を渡り、雨の中を加賀屋に着いた。午後2時だった。 早速お姉さんが見えた。おっーと思うほど美人だった。雨だったので荷物運びは大変だったが、実に鮮やかに処理してくれた。 お部屋は充分な広さがあり、露天風呂もとても広かった。ただ大きな樽状のお風呂だから、湯船の縁は4センチ位しかなく、そこに腰掛けるにはちょっと苦しいな、と思いながら傍に近いて見ると、湯船の脇に四角い台があり、その上に円板の板が台をはみ出して取り付けてあった。 その台に触ってみると可動式で、湯船に寄せてみると、丁度円板が湯船に被さる仕掛けで、その円板がぐるぐる回る。成程、成子を円板に腰掛けさせて円板を回してあげれば成子の足が難なく湯船の中に入り込む。これなら僕独りで成子をお風呂に入れてあげられる。
こんな装置が付いているお風呂は初めてだ。加賀屋のきめ細かい、行き届いた配慮が嬉しい。
3時になったら、さっきのお姉さんがもう一人の女性を連れて見えた。新しい女性がこの部屋の正式の仲居さんで、自分は早く着いたお客の為の繋ぎの仲居だと言う。色々なケ−スを事細かに想定し配慮しているようだ。
「有難い事に二人とも足が達者で、こういう処に来られるのも足が達者のお陰ですね」
その話が終わって、仲居さんが5分ほど席をはずして、戻って来た時に
「おかみさんに話したら、記念撮影をしてあげて、と言われました。もうすぐプロのカメラマンが来ますから」
「へえー、そういうこともしてくれるんだ。ビックリだね。加賀屋って違うね」
と言っている内に、プロカメラマンが見えて、あっと言う間に二人を撮影してくれた。
台紙に貼られた成子の写真は幸い目を開けていた。
「お客さまはどうしてこんなに仲がいいのですか?」
「二人とも遊び好きで、何時も二人で遊び歩いていた。絶好の遊び友達なんですよ。それが仲の良さを支えたのではないかな。 そんな話を三日間していた。 宿の中日、仲居さんから 「家には介護経験者がいて、奥さんをお風呂にお入れすることが出来ます。私がお連れしますから」という申し出があった。 「ええっ?それ有料じゃないの?」 「いいえ、無料のサ−ビスです」 「加賀屋って凄いことをするんだね」 女性風呂に入れるべく、二人の女性が成子を連れて行ったが、途中の階段が登れずに帰って来てしまった。 「すいません。お風呂に入れてあげられなかった」 「いいんだよ。介護のお姉さん独りで成子をお風呂に入れようとしたら、かえってえらい苦労になってしまう、と心配してたんだ。逆に安心しましたよ。有難うございました」 「そう言って頂いて、ほっとしました」 11月3日、仲居さんともお別れの日、全ての支度を終えて、成子を車に乗せて、仲居さんとお別れの握手をしたら、彼女泣きだしてしまった。 「本当に良いお話を山のように聞かせて頂いた。なんて素敵な夫婦でしょう」 「とても楽しかったね。どうも有難う」 男性のスタッフと彼女のたった二人のお見送りだったが、ジ〜ンと胸が熱くなるような忘れ難い別れで、加賀屋はとっても良い宿と思った。
和倉温泉から新穂高温泉までは可なりの距離があるが、途中、相倉、五箇山、白川郷の合掌造りの集落だけは見ておきたいと思った。
成子の手を引いてフロントに入って行くと、
「あらー、なんて優しいご主人でしょう。私、涙が出てきちゃう」 本来、この宿には泊まらずに、次の槍見館に入る予定だったが、槍見館の予約が取れずに、繋ぎの意味で1泊だけここにした。しっかり下調べをしないとこういうことになる、と反省しきり。でも、この宿にも良い処が一つあった。
急なケ−ブルカ−にのって30メ−トル下の河原にある大きな混浴の露天風呂はとても大きく素敵だった。
次の槍見館は同じ温泉場だから、直ぐに到着してしまう。
そこでさらに足を延ばして 滝にまで行ってしまった。宿に着いたのが14時丁度。良い時間だった。 良い宿というのは考え抜いて設計された極め細やかさがあるみたいだ。 夕食時、女将さんが見えて、「賄いの仕事で、長い事病院勤めをした事があるのよ。だから 知っているのだけど、病気が重いのに、こんな良い顔をしている人は初めてだわ。穏やかで明るく、とても素敵。ご主人の深い愛情の賜物なのね。それにこんな旅している人は皆無でしょうね」と言ってくれた。
11月6日、10時40分槍見館を出発した。体調は快適、気分も爽快。疲れたという思いは微塵もなく、こんな旅だったらもっと続けたい思いだった。
出会った全ての人々に厚くお礼を言いたかった。僕と成子の人生における貴重な旅となった。 |