声を失うということはどのようなことなのか

(東京都内の高校生:R.K)
<The GINREI No46(1999年夏発刊)>


私は今、あたり前の様にこうして声を出して話しています。みなさんも声を出して話すことに特に意識などしていないと思います。
私自身呼吸をしているのと同じ様に、自然の事として今まで生活していたと思います。

しかし、半年前のある日から私の「声」に対する考えが大きく変わりました。 そして、自然であたりまえの世界ではなくなってしまったのです。

私には祖母がいます。一緒に住んでいる訳ではなく、隣の家に住んでいます。一応一人暮らしです。
日本舞踊の先生をしていて、明るく元気な、よくしゃべるおばさんといった感じです。
一緒に歩いていてもいつも母と思われます。そんな元気な祖母が、ぜんそく…と言われていたものがひどくなっていき、一度大きな病院で見てもらおうということに なり病院で検査をしたのです。

そして検査をしに行った日に入院してしまいました。
ぜんそくなどではなく、「こうじょうせん」といってホルモンのバランスを調節するところにできたガンでした。

すぐ手術をすることになりました。
しかし手術をするには声を出す所、つまり声帯をとらないといけなくなりま した。
そして嗅覚も失うと言われました。よくしゃべる祖母なだけにショック…というより信じられない気持ちの方が大きかったです。けれど、命を失うよりいいに決まっています。

すぐ手術をしました。十二時間もかかる大きな手術でした。そして祖母はその日のうちに声を失いました。

鼻はついているだけで全く機能はなくなりました。口は食べるだけのものとなりました。呼吸などは全て首からになりました。
どうやって呼吸をするのかというと、首に穴を開けたのです。みなさんには信じられないと思いますが、ぼっかりとこれくらいの穴が首に開いています。

くしゃみなどもここから出ます。鼻と口をつまんでも一ここからくしゃみが出ます。たんなどもここからです。
こうして祖母は突然健常者が障害三級の障害者になりました。

手術をして三週間くらいは病院のベットから起きることもできない生活でした。手も挙がらず、祖母が辛そう鈴に何かを私に伝えようとしているのに、口がわずかに動 くだけで全くコミュニケーションがとれません。

姉と二人で五十音の文字盤をっくりました。そして指し棒で字をたどってもらって何とかコミュニケーションがとれるようになりました。

私は本で独自に手話を学び始めました。
そして毎日病院へ通って祖母に手話を教えました。
けれど祖母が起きれるようになってからは紙に書く筆談で会話をしました。

祖母は先生が驚くほどの回復を見せ2ケ月で退院しました。
先生に退院してからの方が大変といわれていたとおり、不便な生活が始まりました。

一番困ることはやはり電話にでても話せない事です。
筆談も電話では通用しません。
出かける時は小さいホワイトボードをもって行きます。

積極的な祖母は皆に不思議がられても、自からどんどん店の対応をうけていました。そんな祖母を私はとても強い人と感じました。
そして素直にえらいなと思いました。

みなさんは息を止めた時、声は出ませんよね。吸いながらも出ないと思います。上手に話すには、はく時だけです。
肺から出た空気は気管を上り、のどを通って口から外へでていきます。その途中で声帯を通ります。
祖母は肺からのどを通る前に首の気管孔から空気がでてしまうので声が出ないのです。

声帯がないと「声」というものは出ません。しかし今、祖母は話すリハビリをしています。どうやって?と思うでしょう。

声は出ませんが実はひとつ口から出せる音があるのです。
それはいわゆる「げっぷ」のことです。本当は違ったいい方があるのかもしれませんが、すいません。笑いことではなく祖母は今、「げっぷ」に口びるを合わせて声のかわりにしています。いちいち食べたり、飲んだりしないと「げっぷ」は出ないと思う人も多いと思いますが、空気をのみ込んでも「げっぷ」は出ます。
そういったリハビリをしています。

その他には、この穴をふさいで口から空気をはく練習をしています。不思議です。この練習についてはハーモニカをつかって練習しています。
こういったリハビリをこなすと、電話も普通につかえるほどの会話もできるそうです。現にたくさんの人が普通に生活を送っています。

祖母はリハビリをしながら「ぎんれい会」といって同じ障害を持った人の集まりに 月、二、三回参加しています。

今の祖母はとても輝いて見えます。来月からはまた日本舞踊も教えると言っています。「声がなくても体で表現できる」ととても乗り気です。

みなさんは「五体不満足」という本をご存じですか?
この本を書いた障害者の乙武さんはこういっています。

「障害は不便です。しかし不幸ではありません」と。

祖母も「声を失って不便なことも多いけど、おせじも言わないし、言葉によって人を傷付けることはなくなった」と笑って言っています。

もう祖母をかわいそうとは思っていません。祖母は新しい世界を見つけた様です。そんな祖母を私はただただ好きだった祖母から尊敬する人に変わりました。

これから大へんなことも多いと思いますが、私も沢山の事を見習いながら、祖母の回復への道を一緒に歩んでいきたいと思います。
(東京都内の高校生:R.Kより)


喉摘者に対しての理解が少しづつ深まっていく文章に心が打たれました。
(1999/10/20おおさわ 記)