<98年08月01日>
やっかいな鼻水
(術後2年1カ月目)
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ちょっと身体を横になると鼻水が仮声門(食道入り口部)に流れていくのが分かる。横にならなくても立っている姿勢から首を90度、上向きにするとそのような現象が起こる。
術前ではすぐ吐き出すことが出来たのだが今はそれができない。現在の解決法としてはお茶を飲むか、首を90度逆に下向きにして鼻水の流れを逆流させてから鼻をかむかどちらかである。(自然にほっておいてもそのうち治る)どちらにしても余りすっきりしない。
そのようなときの発声音は当然にぐちゃぐちゃ音になります。少しの間、声を出し続けていると治るのだが....
大量の空気を食道内に取ることで解決すると思うのだがよく分かりません。そのうち解決できるといいのだが。
勤務中は身体を横にしないので、そのような現象は余り起きません。でも、いかなる状況になっても声を出せるようにしなくてはと思っています。
もっともっと発声の稽古に熱を入れ、大量の空気の吸引ができることを念じています。
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<98年08月07日>
持続する稽古
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庭のインパーチェンスの花を見ながら発声の稽古をやっている。暑い。汗が出る。
よく、毎日この稽古が続くものだと自分でも感心している。
どうしてか?を考えてみた。
第一に稽古すればする程、上達していくのが分かる。やる気が出るということです。
第二に勤務先でどうしても声を出ないと仕事がスムーズに進まない。なんとかしようというせっぱ詰まった気持ちからである。
第三に喉摘者の仲間と話をしていて少しでも上達した声を聞かせてやりたい。
良い意味での競い合いである。
以上の3つが大きな原因と考えられる。
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<98年08月11日>
目標としたい
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昨日の懇親会で全日本喉摘者連合会の会長(N会長)と会うことが出来た。
早速、写真を撮った。インターネットで食道発声法のホームページを開いていますと報告をした。
大変興味を示された様子で機会かあったらゆっくり説明する必要性を感じました。世界に向かって情報を流すには一番手っ取り早いからです。
話の内容よりも声を上手に出しているその方法を会得すべき感心して唇の動きを観察していた。
声の振動数を計って我々とどのくらい違うのか科学的データを取ってみたい。食道発声法もある程度、上達してしたら説明を受けて上手になると言うわけには行かない。
自らの努力と上手な人の発声の仕方をこっそり会得することだと思います。恵まれている環境を無駄にしていけないと思った。他の仲間も必死に練習をしている。私も頑張らなくては。
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<98年08月17日>
どこを鍛えるのか
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発声の稽古をしていてどこを鍛えているのか時々、考えさせられる。現在、考えているのは
(1)食道の仮声門の部分の襞を柔らかくするということです。
(2)食道内の空気の貯蔵庫のキャパステイを増加させるということ。
今までは(1)だと思っていましたが、最近は(2)に考えかたが変わってきました。
それは、発声練習をしていて誤って呑込んだ少量の空気が胃にたまり、やがてそれが積って胃から大量に逆流するときに分かります。吸引法で空気を取り入れて音を出すときと違って大量の空気の逆流はいとも簡単に高音が出ると同時に容易に発声が可能だからです。(ただ解らないのは逆流の起きる直前も高音がでるといいことです)
訓練(稽古)によって食道内の全体の筋肉(襞?)に柔軟性を持たせ、それによって大量の空気の一時保管が可能になり、すぐ収縮させることで空気の逆流が容易にしているのではないかとということです。
吸引法(気圧の差を利用して、自然に空気が食道内に入る方法)によって得られた空気を絞り出せるようになって気がつきました。
まだ、食道発声法のメカニズムはわかりません。指導員に聞いても納得する返事が返ってきません。
それは各人の手術の方法が違うのと同時に発声する体得が人によって違うということです。私も2〜3年後にはまた考え方が変わってくるかも知れません。すなわち「食道発声はこうだ」といえない面があるのは確かです。
初心者はいろんな指導員から教えを頂き自分にあった指導員の意見に耳を傾けるようにした方がいいかも知れません。
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<98年08月25日>
無造作な発声
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声を出すとき、最後まで腹筋に力を入れないで話してしまう。つい話が出来るという自信のために無造作になってしまうのが原因。話すときの気持ちは2年前に戻る必要がある。
無造作になると語尾が消えてしまう。自分で語尾の音の消えたのが解る。その様なときは、聞いている人の顔色は漠然となってみえる。
意識をして話す必要がある。今の時期が大切と思う。丁寧に話そう。
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<98年08月28日>
感動された
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16、17才くらいの年齢の人に一生懸命に話すその姿が格好がいいという言葉があり、とても嬉しく思った。
とにかく相手に通じさせようとするその姿に感動をしたみたいである。
一つ一つの言葉を大切にし、つっかりながらときには休みながらそして全身を動かしながら話した。
話の内容よりも私の一挙一動が関心を持ったみたい。「一生懸命に頑張っているその様は美しいのだ。」と思った。
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