<98年09月01日> 滑らかに (術後2年2カ月目)

自分の意志を相手に伝える自信がついた。(静かな場所という条件があります)でも、まだ完全というわけではありません。
思っていることをどんどん言葉として出せる勇気を持つようになるには、 もう少しの時間が必要だと思います。

なぜ、勇気が必要かというと、相手に勘違いをさせてしまうためそれを訂正するのにかなりの時間を要するからです。
訂正ができたらいいのですか、ほとんどはそのままにしてしまいます。
重要な話になると、結論に至った理由が詳しく説明が出来ません。
それと同時に相手が私のことを知っているため説明を求めようとはしないからです。
これは、すべて自分の発声音の未熟さに原因しています。

 日常会話ですと今のままで充分です。でも、さらなる可能性を求めるにはこれでは全く不十分です。
稽古の仕方を上達の程度の応じて変える必要があることを実感しました。

今までの稽古は、主に発声がしやすくすることに重点をおいていました。
すなわち音のボリュームを上げる稽古をしていました。今度からは声に響きを持たせることを重点において稽古をしたいと思っています。
そのためには、わずかな空気で最大の共鳴音を出すことです。すなわち振動数を上げる稽古です。

 さあ、新たな課題に対して頑張ろう。
このセクションの完成予定は1999年12月31日だ!



<98年09月17日>シャクリが出る

 朝の社説を読んでいるとき、1年前よりは少なくなったが、シャックリが時々出る。
そのときの発声音は、連続性がなく、また強弱が激しく、大変聞きづらい。
読み始めるてしばらくするとシャックリが起きます。シャックリが出たときは深呼吸をし、そこで数秒間息を止めるなどして解決している。
シャックリしながらの無理した発声は避けた方がよい。

 シャックリは、特に朝方に多い。仮声門が堅いために起こる現象ではないかと思う。
滑らかな音を作るためにはこれを越えなければならない。
いつまでこの状態が続くか皆目見当がつかない。

 頑張るしかない。



<98年09月26日>喉摘者の気持ち

 家族とか同じ喉摘者などは道路でもよく話をするが、そのほかの人とはよっぽどのことがない限り道路で話はしない。
どんなに静かな場所でも、閉め切っている部屋と違って音が抜けてしまい、あまり相手に通じない。そのため自分の方からあきらめてしまう。あきらめる理由として、

 第一に相手が最後まで私の云うことを聞いてくれる人がどうかわからない。もし話をして、適当に返事をされたらみじめだ。
このことは、よくあります。私がぎこちない言葉で一生懸命話をしているのだから分からないとかわいそうだと思って、分かったふりして話を聞いている態度がよくわかります。

気を使って頂いて、ありがたいことですが、私にとってはつらい。ところが、大人と違って子供はそうはしません。
分からないときは何度も聞き返します。この方が私にとってはありがたい。

 第二に自分が喉摘者で話が出来ないのだという気持ちが強いことである。周りの人が私の病気を知っているために話せないのが当然と思っていることをよいことにしている。自分の都合だけを考えている。これは直さなければなるまい。
きっと話に自信がついてきたら治ると思う。例えば電話がよい例である。最近、私の方から電話をかけるようになってきた。
電話音はとても感度が良好で小さな音でも拾ってくれる。

 第三に発声音のボリュームが低い。まだまだ屋外においては初心者である。
来年の春に喉摘者のために開発されている小型マイクが完成されれば解決される。でも、あくまでも機械に頼らないことを目指している。
妻と外出したときはできるだけ車の通りの激しいところで話す稽古をしている。

 第四に外で話すと云うことは、私が話す準備が出来でいないときにとっさに話しかけられることが多いといいことです。
これは、会話の原則であり、まだまだ私にとっては無理かもしれない。でも、すこしずつ慣れていくことが大切と思っている。

 第5に相手に通じなかったら格好が悪いと思う気持ちがある。
話をしているとき発声音がぎこちないことに対してはなんらコンプレックスを持っていない。
また、発声音が綺麗でないことにも恥ずかしくはありません。惨めな気持ちもありません。一生懸命話をしていてたとえ通じなくともなんともありません。最大の原因は、同情なのです。
身体障害者は誰でも持っていると思います。自分がその立場になってよくわりました。

 あと、1年すれば外で自由に話が出来るのではないかと思います。そのためには、いままでの発声訓練をさらに継続し、自由に話が出来ることを願って努力しなくてはと思っています。
食道発声は奥が深い。やればやるだけ自分に戻ってきます。