馬頭観世音菩薩縁起
当山一帯の地は古来より観世音菩薩のご出現になられる霊地であると言い伝えられて参りました。
その昔房州嶺岡(千葉県江見町付近)に凶暴な馬が現れ住みつき村人はこの馬を「荒潮」を名付け恐れて近寄りませんでした。
しかしこの馬がしだいに畑の作物を荒らすので村人が追い払うことを決めました。
馬が村人から逃げ海中に飛び込み当時の相模の国、小原台の地にたどり着きました。
馬が疲れと渇きを癒すために傍らの岩を足で掘った処、清水がわき出しその水で渇きをいやし見事な駿馬に生まれ変わりました。
この噂を聞いた時の領主三浦荒次郎義澄はこの馬を捕獲し時の将軍源義経公に献上したところ大変お慶びになられ、「池月」と命名されました。
寿永2年、宇治川の合戦に際し頼朝公はこの池月を佐々木四郎高綱に与え「平家物語」に語られるように
梶原景孝の愛馬「磨墨」と先陣の争いとなりこの世に名声を残すことになります。当所の馬堀という地名は
これにより起こり、馬の掘った井戸は霊水が今も尽きることがありません。
「掲示板より抜粋」
交通:京急馬堀海岸駅から徒歩15分///
[地図]
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