<99年07月01日> 3年目の声だ (術後3年0カ月目)

無我夢中で練習すれば、3年も経てばペラペラしゃべれるだろう思っていた。
だから1日も欠かさずに一生懸命に発声練習をしてきた。

いま思うことは、食道発声の難しさであり、その奥の深さである。
本来の人間に備えられた機能と違うことをするためだから、当然そこに立ちはだかる困難さに挑戦をしていかなくてはならないと思う。

簡単に考えてはいけないのだ。まして月日が経つと話せるようになると思うのは間違いであり、練習量によって話せるというわけだ。しかも長い年月のたゆまない練習が必要である。
途中で脱落して話せなくて困っている人を幾人も知っている。

練習をやめたら発声の度合いが落ちると言われているからである。

とにかく頑張しかないのだ。幸いにも練習はいやだとか面倒くさいと思ったことはない。手術後5年間は、練習した量だけ伸びると聞いているので、それを信じて今日も発声の練習をする。

ここに書くことによって頑張れる。


術後3年目の声 ・・・上記の文章の一部の朗読(679KB)



<99年07月12日> 食道から逆流

朗読の練習中に食道からの空気の逆流が特に感じられる。前にもあったが最近は特に頻繁に起きのだ。(食道の奥の方に空気がたまっているせいかその空気がでてくる。)

食道全体が震えるためか、すこぶる気持ちがいい。
まだ私は意識してどうにか空気を出しているのだが、これが会話の途中で出せるようになると「滑らかさ」が卒業というわけだ。
日に日に頻繁に起きていることが、最近特に実感できる。このような現象は日々の訓練の成果であるとおもう。