荒崎の奇勝と歴史
このあたりの海岸の岩石は、数千年前、まだ三浦半島が海底であった頃に堆積した黒くて硬い凝灰岩と、白くて軟らかい砂岩・泥岩の層により形成されています。
またこの二種類の岩石の層は洗濯板のような凸凹をした特殊な地形となっています。これは、岩石の硬軟の差により起こる水や風などの外的な力による差別浸食ばかりでなく、水分を吸収して膨張伸縮しやすい砂岩・泥岩層が、水分を吸いにくい凝灰岩層との間で長い年月をかけて変化してきたためと考えられています。
右手にある海中に突き出した小高い岩山は城山と呼ばれ頂上にわずかの平地を残し周囲は絶壁となっています
かつてここは、鎌倉幕府創設に貢献のあった三浦一党の荒次郎義澄の居城跡と言われています。また幕末の頃には幕府の命により彦根藩が台場を築いた所でもあります。
ここから長浜に出るシーサイドハイキングコースの終点に近い山腹には、古代の下級豪族の墓である横穴古墳群があり、昭和32年に横須賀市博物館が調査をしたところ人骨や副葬品と思われる土器や金属などが多数出土しました。このことは当時、この近くにかなり大きな集落があったことを物語り古代から生活するのに適した場所であったことが想像できます。
潮騒が快いこの海岸からは、相模湾越に右手から丹沢山塊、箱根連山、霊峰富士、伊豆半島、大島と
遠望することができ、特にあかねに染まった夕景は筆舌に尽くしがたい美しさです。
昭和52年12月:
と看板に書いてました。
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