「美味しんぼ」の原作者について、もっと知りたくなりました。ドタバタの過去に歴史の重みを背負っていると感じたからです。リコリスさんやkikiさんの示唆にも影響を受けました。そして検索したら、下のごとし。「学者志望だった」。やはりね。そんな感じがしました。リコリスさん、kikiさんありがとうございます。
1941年(民国30年、昭和16年)10月6日、中華民国北京特別市に誕生。終戦後に日本に引き揚げ、東京田園調布[2][3][4]で育つ。結核性の感染症に冒されて小中学生時代は入退院を繰り返し、医者にかかる機会が多かったことから自らも医師を志望していたが、東大病院の建物の陰気さに嫌悪感を持ち、志望を変更した[5]。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学教養学部基礎科学科で量子力学を専攻する。
大学入学時は学者志望だったが、大学4年の夏に「大学に残っているより、もっと生々しい人間社会の実態を知りたい」と[6]、大学卒業後広告会社の電通へ入社して3年9ヵ月間の会社員生活を送る。しかし、会社組織には順応できず、在籍中に漫画原作者として活動を始める。1974年(昭和49年)に退社後はフリーランスとして本格的に活動を開始した。初期は男性向け雑誌、少年誌などで劇画をメインに原作を手掛け、テレビ化、映画化された作品もある。
1983年(昭和58年)にグルメ漫画『美味しんぼ』を花咲アキラの作画で連載を開始した。1988年(昭和63年)にオーストラリアのシドニーに移住。日本の「食」についてのエッセイも発表している。1990年代後半には論壇誌『週刊金曜日』で、漫画『蝙蝠を撃て!』『マンガ日本人と天皇』をシュガー佐藤作画で発表している。 |