と銘打った、ただの原っぱ。
晴海埠頭公園が最初にできたのはいつか知りませんが、そんなに古いことではないでしょう。でも、岩は苔蒸し、少しは古味が出、風格さえ感じられました。ところが3〜4年前、オリンピックの選手村になるとかで、公園は根こそぎ潰され、岩も木も、ごろごろ放りだされているのを見て、三寸は苦りきりました。そして、
「国立競技場も同じ。古くなれば壊して、新しい、一寸見は、その時だけ、気の利いたようなものを作る。着せ替え人形みたいなものだ。鴎外が”普請中”と評した時と変らない、日本全体の風景だ。明治維新は大成功を収めたが、引き換えに、『伝統』という意識を失った。あとは亡国あるのみ」と断裁しました。
先に、ロンドンの古さ・重厚さと、東京の新しさ・薄っぺらさの違いにショックを受けた孫と三寸が意気投合した際も、この埠頭公園を引き合いに出しました。
ところが、今日初めて行ってみて、腹を立てるかと思ったら、「原っぱだけだ。これなら、新しいものを作るにも、古いものを壊す手間が省ける。どうせ我々は伝統の形成に与ることはできないのだから、頭のいいやり方だ」と機嫌よく帰ってきました。やれやれ。 |