三寸が喜んでいました。 子猫も可愛いけれども、栞さんの「餌をやって」という、正しい日本語がよほど嬉しかったようです。最近のお母さんは自分の子にも「ミルクをあげる」と言います。犬、猫、鳩にも「餌をあげる」の方が圧倒的多数派です。昨日テレビで見た、鰐を調教しているお兄さんは「鰐に餌をあげる」と言いました。
桃太郎さんも、吉備団子を「やりましょう」だったのに、「あげましょう」に 変えられましたね。大日本国語辞典には、次のように説明されているとか。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 敬語動詞としての「あげる」は下位者から上位者への物の移動という意で用いられる謙譲表現であり、「ロドリゲス日本大文典」では「身分の低いものからシュジン、キニン等を始めとして天子に至るまで非常に貴い方に差上げるのに使はれる」とあり、当初は敬意の高い表現であった。近世以降次第に敬意が低くなり、近世後半には丁寧語と目される例も出現する。現代語においても、一九七〇年代前半では丁寧語としての用法は誤用としての意識が強く、女性特有の過剰敬語と考えられていたが、その後次第に男性も含めた若い層にも広く用いられるようになり、「やる」の丁寧語として定着するようになった(逆に「やる」は下卑た表現として意識されることも多い)。ただ、敬語動詞「あげる」の本質が謙譲語にあることだけは変わらず、両用法が並立している。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「ここまできては、もう日本語も終わりだ」と嘆く気力も三寸には残っていないようです。 |