昭和45年、大阪の万博で、岡本太郎の「太陽の塔」に接した時は、変なもの!と感じました。その後、これは有名になり、私も慣れましたが、作者が、何を訴えたいのかなど、今でも、さっぱり・・・。
太陽の塔によく似たものが、数寄屋橋公園の奥に立っています。真似をしたのか、と思いつつ、検索してみると、逆にこちらの方が先輩で、建ったのは昭和41年、題して「若い時計台」。デザインは、やはり岡本太郎、制作の目的は「青少年の健全育成」とか。これまた、??
その趣旨で依頼を受けた岡本太郎は同所を訪れて「やたら色、形が混乱した雑踏の場。ひどい」と嘆きながら、「ただすっきりとしたものを作ったって埋もれてしまうだけ。激しいと同時に、静まった、周囲と異質でありながらピタリとあの場所に生きる、彩の濃い象徴を」と構想した由。これなら、少しは分るような気も。
解説子曰く「兄貴分なのに、”若い”時計台とはこれいかに」。 |