日本を戦争に引きずり込むべく、あらゆる画策・謀略に手を尽くしていた昭和15年(皇紀2600年・西暦1940年)に勝鬨橋は開通しました。翌年まさかハルノートという最後通牒を突きつけられようとは、我が国の要路の人たちは考えていなかったことでしょう。全ての面で、こちらは甘く、他の悪意を見抜くことが出来ませんでした。kikiさんの写真、川が波立っていますね。
開通当時聖路加の看護婦をしていた、三寸の以前の俳句仲間の御婦人は、病院から開通式の様子を見たそうです。当時未だタワマンなどありませんでしたーー以前、ここに書かせていただきました。
kikiさんの松茸、超豪華ですね。御自身でのお出かけが面倒なら、御家族を買いにやり、一部をこちらに回していただけませんか。 |