これが懐しくなる時季ですね。勝鬨交叉点付近。
おでん煮てどやらかうやら一家の長 三寸
まだ子供たちも家にいて、義母も健在だった時代、我が家の食卓を詠んだ駄句です。ところが三寸は、獅子文六の「おでんは家庭でやっても、どうも、うまくいかない」という説を拳々服膺していました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・・・深夜の路上から、おでん屋の店内に入った時のあの匂い、そして、鍋前 でつつましく、酒を飲んでる客ーーその雰囲気は、私にとって、若い時から、無上のものであり、他のどんな種類の飲食店にもまさった。所詮、私は貧乏性の生れなのだろうが、下司の味を知って、不幸と思ったことは、一度もない。 ああ、今年もまた、おでんが食いたい。(獅子文六著『食味歳時記』ーー「鍋」より) |