思い出すだけでも昂奮します。私は情けないことに、エレヴェーターで登りましたが、下を見ると徒歩でテクテクと上って来る人もいて、2000年前、ここに攻め上って来たローマ兵が偲ばれました。
亡国→離散→再度の建国という歴史を思うと、感なきを得ず、GHQ御推奨(普及係は「日本のメディア」)により巷に溢れる「かわいそうに!」的平和論が愈々安っぽく(すみません)感ぜられます。士官学校の「マサダの誓い」にこそ、我々日本人は学ぶべきです。
(追伸)「身に入むや戦争止まぬ子ら哀れ」ーー最近の句会に出された句で、かなりの点が入ったそうです。「周りの人と同じことを言っただけで、作者自身の実感は全くない。本当にそう感じたのかーー一度、自分の心の中を覗いてみよ」というのが、三寸の選評です。
kikiさん、例の連想一系が真に御自身の心の奥底から湧き出たものか、それとも、流行の観念に靡いたものか、御再考いただければさいわいです。人それぞれ!?そのとおりです。ところが、連想一系は全く「それぞれ」ではありません。「胸が痛む」ーー右や左の旦那衆の口癖を借りただけです。借用語と自身の言葉の取り違えーーこの迷妄に一刻も早く気づいて下さい、
三寸は極端な孫煩悩です。なんでもかでも、孫を第一にします。 しかし、海外の戦争報道に孫を結びつけて思ふことなどないそうです。☆海外の戦争報道→孫(曾孫)→日本のことでなくてよかつた!→戦地の子供たち可哀そうに→胸が痛む!☆と連想するのが高尚といふことになつていて、それが定番です。そんな風には思っていないのに、思ったつもりになってしまうのです。愚民による俗論(世論)は常にそのようにして形成されるーーというのが、三寸の観察です。失礼。 |