懐かしい − やりましたよ。でも素敵なパパ、今の私なら捨てたかもしれないのに。以下ウエブから拾ったもの。 今も昔も変わらず日本人の主食となっている白米ですが、 戦争の時代にはそれがなかなか食べられないような状況が 続きました。
日中戦争が始まってから2年後の、昭和14(1939)年に 出された米穀搗とう精せい等制限令によって、精米の 度合いが七分搗づきに制限されます。この時点で、お米を 白米の状態で購入することが難しくなりました。七分搗き とは、玄米から米ぬかを70%除去した状態のことをいい ます。昭和16年には米の配給制度が始まり、自由にお米を 手に入れることが出来なくなりました。配給される米も 、昭和17年には五分搗き、同18年には二分搗きとなり、 徐々に玄米に近い状態のお米が配給されるようになります。
写真は、配給された玄米に近い米を、各家庭でできる 限り白米に近い状態で食べるために用いられたもので、 瓶の中の米を木の棒でつき、米ぬかを取り除いていました。 こうした作業は当時、学校から帰宅した子どもたちの 仕事になっていたそうです。」
中東情勢、ハマスのリーダー シンワル師、長い捜索の末、偶然 のようにガザで殺害されました。我が国も混乱しています。楽しい 事ばかりとは行かないかも、私がパパを絶賛したとお伝えください。 シャンボールより、こっちの方が百倍好きです。
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