|  冬うらら刻して衆水一味浄 三寸
 
 この言葉について、ネットで探すと、
 
 ーー「凡夫も聖者も、五逆のものも謗法のものも、みな本願海に入れば、どの川の水も海に入ると一つの味になるように、等しく救われる」(現代語版『教行信証』145頁)
 魚が泳ぐ綺麗な川もあれば、工業用水で汚れた川もある。様々な川の水が流れてくるにもかかわらず、海は潮の味ただ一味だけ。人もまた、様々な人種や思想、価値観を持っていて、煩悩まみれの人もいれば煩悩のない聖者もいるし、仏に逆らう人もいれば仏法を謗る人もいる。それでも、阿弥陀さまの本願のもとでは、私たちは何の分け隔ても差別もない「一味」であるということーーと出ています。
 
 五〜六年前、手水舎が新しくなった時、主人は守衛さんに「右からジョウミイッスイシュウと読むのか」と訊いたら「いや、左から、シュスイイチミジョウ・・・」と教えられたそうです。
 
 でも、自らの無学に恥じ入ることもなく、ぬけぬけと俳句に詠むのですから、
 なんとも図々しい。
 
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